
絵をかくということ
システム化された社会、金融中心の経済活動、そして災害と事故、犠牲と憤懣、「生」とは?心の中で蠢く感情を発露しようとする直感的意識と、否、客観的な抑制する意識が自分の中で葛藤を繰り返す、畢竟、人間社会に生きる人間であると諦めるでもなく納得しないまま時間は経過していく。
言葉では表現しがたい感情は絵筆を握ることに生きる術を見出すほかにない。本来怠けを好む性格は絵をかく事、文字をかくことは好みとしない自分である。
自分が生き存在する今を考えたとき、自分の存在は(生きたということ)は鬼籍の者になろうとも他者が自分を抹消しようとも永劫に消し去る事はできない。ならば生のある限り自らが納得できるところまで果敢に挑戦し結果を出すことの他に道はないと今は考えている。
膨大な管理システム膨らんだ資本化された社会に妬みと僻みと恨みは否応なく乱れた心を生成していく。
人類の辿った道は歴史に視点を合わせ模倣「反復」と概念「規則(法律的ではなく様式的)」によって数千年に及ぶ時間の中で営んできた。しかし近世に入ると模倣・概念は忘れられ文明の発達に自我の欲望を満たすことに価値を見出してしまった。
人間が人間らしく「生」を見つめ一つの分野として独立した領域を作り上げた温故こそが芸術ではなかったのか。そして個性の確立が叫ばれてきた。
誤ってはいけない勝手「思うがままに自由に」な価値観をよしとして強要し本髄を知る事のない理論をもって価値を経済で図ろうとする潮流は混沌の現況をつくり出す。
私は規則に従って制作するのではなく制作することによって規則を生成し、そこから創造し、蠢く感情の発露をキャンバスに表現し観る人に訴えていきたい。今回の展覧会は画廊主人が長年に亙り小生の絵をコレクションしたものを選んで展示してくれる名利につきる個展です。
形骸化された絵画の残存ではなく、また癒しの足しとしての飾り物でもない、突き詰められた自分の感情「絵」と観て下さる方の心が一つになり共有され何かを感じてくれることを願って止みません。そして「絵をかく」意義を理解して頂けるならばこの上ない喜びを感じます。
平成二十四年一月 岩松是親